視覚文化連続講座シリーズ2
第5回「視覚文化を横断する」
講座レポート
「版」が取りもつ美術と印刷
-近世・近代から今日まで-
熊田 司
(前和歌山県立近代美術館館長)
日時:2022年1月15日(土曜)午後2時から3時30分
会場:平安女学院大学京都キャンパス
主催:きょうと視覚文化振興財団 京都新聞社
協力:平安女学院 京都新聞総合研究所
連続講座第5回は、熊田司先生のご講演でした。熊田先生は、「版」という技法の成り立ちからお話を始められ、人類史の中で「版」が何時できたかということに言及され、印判(版)と貨幣が最初の「版」であると述べられました。古代メソポタミア文明では、紀元前2600年頃に「版」という技術が発明され、貨幣その他に応用されて、小アジアや地中海沿岸の地域へと広がっていったとのことです。また、古代の中国では、封泥と呼ばれる一種の印章の技法が発達し、「信用の証し」として上層階級を中心に社会に浸透していったようです。
明治期の日本においては、明治8年(1875)に大蔵省の招きによって来日したイタリア人画家のキヨッソーネによる銅板技法が決定的な影響を与えたらしく、紙幣やその他の印刷物が大量に製作されることが可能となり、その役割は日本近代の「版」の展開にとって計り知れないほどに大きかったといいます。この時期以後、東京や大阪で新聞が発行されるようになり、印刷された活字はもちろんのこと、そこに掲載された挿絵なども社会に受け入れられました。それらは江戸時代の浮世絵版画から脱して、西洋版画の性格を色濃く示すものであったわけです。明治10年頃には、木版に代わって銅版が一世を風靡するようになりました。また、明治中期の日清戦争による日本の勝利は、脱亜入欧の考え方を日本人に植え付け、アジア的なものを背後に押しやることにつながり、浮世絵の衰退を決定的にしたと考えられます。
以上、熊田先生のお話は、古代のアジアを出発点にして、日本の近代社会に浸透した版画の諸相について実例を上げて解説する分かりやすい内容で、木版、銅板、石板をめぐる「版」というものの性質とその社会での働きに気付かされることになりました。「版」のコレクターでもある熊田先生の講義は、数多くの作品調査に基づくもので、説得力のある内容だったと思います。(N)