視覚文化連続講座シリーズ2
第8回「視覚文化を横断する」
講座レポート
京の中の大坂・大阪の中の京都
中谷 伸生
(関西大学名誉教授)
日時:2022年4月16日(土曜)午後2時から3時30分
会場:平安女学院大学京都キャンパス
主催:きょうと視覚文化振興財団 京都新聞社
協力:平安女学院 京都新聞総合研究所
2021年度の最終講義(連続講座第8回目)は、中谷伸生先生のご講義でした。当財団が支援している京都国立近代美術館の「サロン! 雅と俗-京の大家と知られざる大坂画壇」展に出品されている作品群を採り上げながら、京(京都)と大阪(阪)における画家たちの交流について詳しくお話しされました。18世紀における京都画壇の代表者で文人画家の池大雅の絵画を解説することに始まり、その弟子で大坂の知の巨人と呼ばれる木村蒹葭堂の絵画について、両者の交流を軸に解説が進められました。
続いて大坂の画家が果たした役割について話が進み、大坂の大岡春卜と京の伊藤若冲との師弟関係に言及がなされました。また、煎茶の祖といわれる売茶翁らと京・大坂の人々の濃密な交友関係について話題が提供されました。京の町を焼き尽くした天明の大火では、焼け出された若冲が、大坂の蒹葭堂の庇護を受けるなど、興味深い事実が次々に紹介され、これまで空白にされてきた京と大坂の画家たちの交流と影響などが明らかになったものと思います。
京の中だけで研究がなされてきた淀育ちの長澤蘆雪なども、大坂を視野に入れて研究がなされることで、新しい解釈がなされるはずだということです。このように従来の日本近世美術史は、江戸と京のみに集中して調査研究が進められ、大坂は完全に排除されてきたといってもよい状況ですが、そうした枠組みを作ったのが明治の思想家の岡倉覚三(天心)です。岡倉の没後およそ100年間、日本美術史研究は大坂画壇をほとんど排除して続けられてきたといえるでしょう。かつては東の東洲斎写楽、西の耳鳥齋と謳われた戯画作者の耳鳥齋も忘れられましたが、ここ5年ほど前からその奇妙で重要な存在が評価されるようになってきたといえます。
後半の講義は、若くして亡くなった東京帝大の研究者藤岡作太郎の『近世絵画史』(金港堂・1903年刊)によって「文人画の大坂」と讃えられた大坂の文人画家たち、すなわち岡田米山人、岡田半江、十時梅厓らの重要性についてお話しが続けられ、「大坂の文人画を知らずして、日本の文人画を語るべきではない」という主張がなされました。
最後に、岩波書店から刊行された『日本の近代美術』(岩波書店・1966年刊)の著者土方定一の近代美術史観の偏りについてお話しされ、北野恒富、深田直城、日根対山らの忘れられた大阪の近代画家たちについて講義されました。
講義全体としては、岡倉、藤岡、土方の3人の美術史家の主張を踏まえて、数多くの絵画を紹介しながら、「大坂画壇の忘却」について、京(京都)との交流を視野にいれつつ熱っぽく語る講義であったと思います。(N)