【内容】
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- 戦前の博物館・美術館
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- 百貨店、新聞社の美術展への参画
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- バブル期前後の変化と21世紀の試練
【報告】
今回ご講義の陶山先生は、読売新聞社で主に美術展の企画を担当され、数多くの美術館・美術展覧会に関係され、現在、その調査をされています。講義内容は、日本おける美術展の歴史で、およそ百年間にわたって百貨店や新聞社主催で開催された展覧会に関して詳しく紹介されました。以下、講義内容について、陶山さんご自身に報告してもらいます。(N)
略歴:読売新聞で主に美術展の制作を担当。「バーンズ・コレクション展」「1874年:第1回印象派展とその時代」「ニューヨーク・スクール展」などに携わった。現在はフリーランスとして、近代日本の美術館・美術展に関する調査に取り組んでいる。
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日本おける美術館の歩みは1872年文部省博物館(現・東京国立博物館)の創設に始まり、美術展は1874年に東京・旧湯島聖堂大成殿で開かれた「聖堂書画大展観」が最初期例のひとつとされる。今回は、その「聖堂書画大展観」から1974年の「モナ・リザ展」(東京国立博物館)まで百年間の主な美術展を、百貨店や新聞社の美術展への関与にも着目して振り返った。
美術品鑑賞は近世まで「持てる者」の特権という一面があったが、明治時代には博覧会での書画等の公開を経て、公募展や参考展示としての古美術品展、あるいは寺社宝物の公開などが行われ、一般大衆にも古今の美術品鑑賞の機会がもたらされた。20世紀に入ると文部省美術展覧会(現・日展)が創設されたほか、呉服店からデパートに脱皮した三越が美術展・陳列販売を開始。明治時代末期には新聞社も美術展に関わるようになった。大正、昭和戦前期には対象を海外美術にも広げながらさまざまな美術展が開催され、戦時体制下では、百貨店で新聞社主催による国策展覧会も多く開かれた。
終戦直後に日本橋・三越で開かれた毎日新聞社主催「油絵と彫刻の展覧会」は百貨店、新聞社の参画という日本独特の美術展システムをGHQが追認、利用したものと考えられ、戦後復興期・高度成長期の新聞社主催による「デパート美術展」隆盛への起点ともなった。一方、国公立美術館では新聞社共催により大型海外展も盛んに開かれるようになった。
また戦後以来の貧しい文化予算の実情の一端も紹介した。(陶山)