【目次】
- 0
はじめに マンガは「(ハイ)アート」「(高級)文化」なのか!?
- 0-1 日本のマンガ本/バンド・デシネ(bande dessinée=BD)のアルバムの比較から
0-2 マンガを読む場所の調査から
- 1
マンガと社会の関係性 マンガ文化の「公化(おおやけか)」
- 1-1 「公化」の契機(1) 1989年:手塚治虫の死
1-2 「公化」の契機(2) 2000年代初頭:「ソフトパワー」「コンテンツ」としてのマンガの再発見
1-3 「公化」の強化 「マンガ研究」の登場
- 2
マンガとミュージアム
-
- 3
「マンガ展」の観方
- 3-1 日本のマンガ展の3パターン
A)マンガ家自身の自己表現として
B)出版社によるファンサービス
C)(公的な)美術館・博物館(ミュージアム)による企画展~京都国際マンガミュージアムの挑戦
3-2 マンガ原画展の観方 「ゲンガノミカタ」展より
【報告】
伊藤さんの専門分野は、マンガ研究と民俗学とのこと。ちょっと珍しいですね。というのも、マンガは、多くの場合、美学や芸術学、芸術史学(美術史学)、社会学などの観点から研究されるのですが、伊藤さんの場合は、民俗学の観点から研究されているからです。では、民俗学的な「問い」とはどのようなものか。伊藤さんは、幸いなことに、京都精華大学のサイトで、次のようなことを述べておられます。ちょっと長いのですが、そのまま引用させていただきます。
マンガ作品の内容や、描き方について問題を立てるのが、美学や芸術学、美術史学などだとすれば、「マンガがどのような状況や環境の中で、どのようなものとみなされながら読まれているのか」について問うことが、民俗学的な関心であるということです。
今回の講座の問いは「マンガは「(ハイ)アート」「(高級)文化」なのか!?」となっています。「アート」と「文化」の前にあって、それらを限定する「ハイ」と「高級」に( )が付けられていて、末尾に「!」が付されているところが微妙です。というのも、もし、この問いが「マンガは「ハイ・アート」「高級文化」とみなされながら読まれているか」と同義であるとすると、私たちははっきりと否と答えるでしょう。しかし、もし、この問いが「マンガは「アート」「文化」とみなされながら読まれているか」と同義であるとすると、私たちは答えるのに戸惑ってしまうからです。その原因は、「アート」あるいは「文化」という概念の内包と外延が曖昧だからなのですが、伊藤さんの答えはきわめて明快です。すなわち、マンガは「アート」「文化」とみなされている、ただし、伝統的な「ファイン/ハイ・アート(美術)」ではない新興の「メディア・アート」として、また、「ハイ・カルチャー(高級文化)」ではない「ポピュラー・カルチャー(大衆文化)」として社会=文化的に公認されているのだから、たとえミュージアムで「展示」されている場合でも、普段着でリラックスして楽しめばいいじゃないか、というものです。頼もしいですねえ。
頼もしいといえば、伊藤さんは、京都市と京都精華大学が共同で運営されている京都国際マンガミュージアムを中心に、数多くのマンガ展のキュレーションを担当されているとのこと。当日配布されたレジュメには、「2 マンガとミュージアム」として、次のようなことが記されています。
伊藤さんは、この「機運」の先頭に立って、マンガの「真正」な楽しみ方を摸索していらっしゃいます。以下にその事例を3つ、伊藤さんご自身に紹介していただきます。頑張ってください。(K)
ぼくが専門とする「民俗学」は、誰もが毎日していることなのに、意識されることがほとんどないこの〈日常生活〉を観察し、その意味を読み解いていく学問ですが、その意味で、マンガという〈ポピュラーカルチャー=日常生活文化〉は、民俗学的に、とても興味深い研究対象なのです。
マンガ作品に描かれていることだけでなく、マンガがどのような状況や環境の中で、どのようなものとみなされながら読まれているのか、といったことを分析することで、今を生きる私たちの「気分」や、そうした気分を支えている「歴史」や政治的状況までも、透かし見ることができると思っています。
そして、このことが大切なんですが、マンガは、その作品が創られた文化的背景を意識した上で読んだ方が圧倒的に面白い!のです。
(https://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/ito-yu.html)