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視覚文化連続講座シリーズ4 
第4回「暮らしの中の視覚文化」
講座レポート

目で味わう日本の料理

熊倉功夫
(MIHO MUSEUM館長)
日時:2023年12月2日(土曜)午後2時から3時30分
会場:京都新聞文化センター
主催:きょうと視覚文化振興財団 京都新聞社

【目次】
1.
絵で見る日本料理の歴史
2.
懐石の献立の流れ
3.
料理の趣向
4.
料理の器


【概要】
熊倉功夫さんは、日本文化史、とりわけ茶の湯や日本の料理について、精緻な歴史学的研究の業績を残されている、この分野の第一人者です。滋賀県の信楽にあるMIHO MUSEUMの館長でいらっしゃいます。 今年は、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されてちょうど10年目に当たるそうです。熊倉さんは、2011年に設置された「日本食文化の世界無形遺産登録に向けた検討会」の会長として、この登録のために尽力されました。そして、2012年3月に「和食;日本人の伝統的な食文化」と題してユネスコへ登録申請し、2013年12月に、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのです。 和食は「WASHOKU」となって、いま世界に広がっています。けれども、「和食とは何か」と問われて、それに定義のようなものをもって答えることはなかなか難しいように思われます。それについて、熊倉さんは、和食のあるべき姿を次のように説明されました。
1.
一汁三菜であること。
2.
お箸をつかうこと。
3.
ひと口で食べられる大きさであること。
4.
ごはんとおかずをまんべんなく食べること。等々
つまり、調理の内容ではなく、どういう風に食べるのかが和食にとっては重要だということなのです。この話には感心も得心もしました。私も食事を作りますが、知らず一汁三菜(味噌汁、主菜、サラダ+もう一品)になっていることが多いように思います。


1.絵で見る日本料理の歴史

昔の人たちが、何をどんな風に食べていたのかを知るには、絵に描かれた食事の様子を見るのが一番です。《年中行事絵巻》(12世紀後半)、《病草紙》(12世紀後半)、《伴大納言絵詞》(12世紀後半)、《春日権現験記》(14世紀初頭)、《酒飯論絵巻》(16世紀前半)などには、公家、武士、庶民の様々な食事の様子が描かれています。公家が今風にテーブルと椅子を用いた「共同膳」で宴会をしている場面がありますが、これは中国からの外来文化で、日本古来の日常の食卓は折敷(おしき)、高坏(たかつき)、懸盤(かけばん)と呼ばれる個人膳だったということです。それが、現在では再びテーブルと椅子の外来文化様式になっているわけです。
ここで目を引くのは、多くの場面でごはんが「高盛り飯」、つまりいわゆる「マンガ盛り/てんこ盛り」で盛られていることです。今でも普通のごはんが「マンガ盛り/てんこ盛り」で出てくる食堂があるそうですが、この歴史を引き継いでいるのかどうか、などと考えると興味深い事実です。


図1《年中行事絵巻》公卿の食事
『年中行事絵巻』(日本の絵巻8 中央公論社)
図2《酒飯論絵巻》僧侶の食事
『日本絵画の転回点 酒販論絵巻』(昭和堂)
並木誠士



2.懐石の献立の流れ

熊倉さんは、《病草紙》に描かれたご飯が「一汁三菜」であることに注目されました。これが古代の庶民の標準的な食事であったのです。「一汁三菜」は、熊倉さんが説明する和食のあるべき姿のひとつです。しかし、室町時代以降、本膳料理と呼ばれる料理の様式が定着し、それが日本料理の基本の型になったそうです。この本膳料理では食べきれないほどの量の膳が給仕され、その中には見せるためだけの膳もあったようです。けれども、千利休の時代に茶懐石へと移行する中で、本膳料理は簡素な形式になり、それが現在につながっています。すなわち、向付、ご飯、汁 ⇒ 煮物 ⇒ 焼き物、ここまでで本来の饗宴は終わりで、強肴 ⇒ 吸い物 ⇒ 八寸は、次の酒宴で出されるものなのだそうです。


図3《病草子》歯槽膿漏の男
『餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻』
(日本の絵巻7 中央公論社)
図4《病草子》歯槽膿漏の男・食卓の部分
『餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻』
(日本の絵巻7 中央公論社)



3.料理の趣向

4.料理の器

タイトル「目で味わう日本の料理」の通り、少し高級な日本料理では色々な趣向があり、また器も吟味して使用されます。北大路魯山人はその趣向を極めようとした人の一人でしょう。また、宴会は本来的には「遊び」(単に享楽ということではなく、熊倉さんは、ホイジンハの「ホモ・ルーデンス[遊ぶ人]」の考えに著作で触れられています)であり、歌舞音曲がつきものであると、熊倉さんは捉えていらっしゃいます。そういう意味においても、日本料理にとって趣向は大切な要素だということになります。スライドでは尾形乾山の器、料亭「吉兆」の創業者・柚木貞一さんの懐石料理の写真などが提示されました。吉兆の懐石、一度行ってみたいものですね。
食べ物の味を感知する感覚器官は味覚です。味覚は、対象との距離があっても作用する視覚、聴覚とは異なり、触覚と同様に対象との距離がゼロでしか働きません。ですから味覚は生死に直結しています。人類の先祖は、味わったとたんに死を迎えるという悲劇を繰り返しながら、食べられるものとそうでないものを選別してきたにちがいありません。そのような段階では、食事は単に生物学的欲求を満たすだけであったと言えます。しかし、食材を煮たり焼いたりして食べられるようにする調理方法を獲得したとき、食事は「見た目に美味しそう」な、つまり「目で味わう」食事になったのではないか、そしてそのときはじめて、食は「文化」になったのではないか――今日の講座を拝聴して、そんなことを考えました。(I)



【会場の様子】


今回の会場は、京都新聞本社の7階にある京都新聞文化ホールでした。ホールの東側にあるロビーからは、比叡山から瓜生山、大文字山を経てさらに南に連なる東山連峰の全容が、晩秋の西日に照らされて、手が届きそうなほどすぐ近くに見えました。絶景です。さすが京都新聞の本社ですね。
参加された方の人数は、41名でした。熊倉先生のユーモアを交えた、軽妙かつ流れるようなお話しに、すっかり魅了されたにちがいありません。スクリーンがちょっとばかり小さかったことはやや残念でしたが、有意義な時間を過ごすことができました。
毎回お楽しみの抽選会――今回は熊倉さんが館長を務めるMIHO MUSEUMの招待券が5名の方にプレゼントされました。桃源郷のような信楽山中の美術館をぜひお訪ねください。

【連絡先】

きょうと視覚文化振興財団事務局

住所 : 〒607-8154 京都市山科区東野門口町13-1-329
電話 : 075-748-8232