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視覚文化連続講座シリーズ4 
第8回「暮らしの中の視覚文化」
講座レポート

モダニズム建築と私たちの暮らし

松隈洋
(神奈川大学教授・京都工芸繊維大学名誉教授)
日時:2024年4月6日(土)午後2時から3時30分
会場:京都新聞文化ホール
主催:きょうと視覚文化振興財団 京都新聞社

【内容】
モダニズム建築とは何か
先駆者ル・コルビジュエとは誰か
弟子の前川國男の求めたもの
現代建築の課題を見つめる


【報告】

今年度の視覚文化連続講座の最終回は、建築家の松隈洋さんをお招きして、モダニズム建築と人間生活とのつながりについての話をしていただきました。
松隈さんは京都大学工学部建築学科を卒業されて後、前川國男建築設計事務所に入所され、20年ほど建築設計の現場で仕事を続けられました。前川國男という建築家は、今日の松隈さんのお話のひとつの中心でもあったわけですが、日本のモダニズム建築の礎を築いた大変重要な建築家です。
 前川國男と松隈さんは、大分歳が離れているはずだけど、設計事務所に入所された時、まだ前川さんはご存命だったのかなと、少し疑問に思っていたのですが、前川さんの最晩年の数年間を弟子として過ごしたということで納得をしました。その短い間に、松隈さんがいかに強く前川國男の影響を受けたかということは、今日のお話で十分に伝わりました。もっとも、前川國男が亡くなってから後で、初めて気づいたこともたくさんあるということでしたので、師弟の関係は師が亡くなったのちも続くものだということを改めて確認した次第です。
 さて、その前川國男の話を、松隈さんは、前川國男の処女作である青森県弘前市に建てられた「木村産業研究所」のことから始められました。この作品は、前川にとって挫折を味わうことになった建築物だったということなのです。つまり、弘前が雪国であることが十分に考慮されていなかかったために、色々な不都合が生じたということでした。そのことは、前川國男にとって、近代建築が技術、素材、有用的目的といった要素だけで作られることに反省が向けられるきっかけにもなったのでした。そのような前川國男の反省は松隈さんの建築思想にしっかりと根付いているように思われます。
 前川國男の師匠は、ル・コルビュジエでした。モダニズム建築の巨匠として名前は広く知られていると思いますが、若いころは画家としてキュビスムの絵も描いています。ちょうどいま、京都市京セラ美術館で開催中の「キュビスム展―美の革命」に彼の作品が出品されています。ぜひ、ご覧ください(私もまだ観ていません)。
 松隈さんは、ル・コルビュジエの言葉をいくつか引用されて、近代の建築や都市が非人間的な方向に傾いていったことを批判する彼の思想を紹介されました。例えば、ル・コルビュジエが、建築の最終目標は有用性を超えることであり、機械文明に生きる人間の心の健康と喜びを与えることだ、と考えていることが説明されました。この考えは、機械文明の中で人間が機械に支配されてしまうことを痛烈に批判したチャップリンの「モダンタイムズ」を連想させます。すなわち、建築もまた単に機能的に雨風をしのぐ覆いではなく、その中で暮らし、寛ぐ人間の存在に根差したものでなければならない、ということなのですね。
ル・コルビジュエの思想は、師の前川國男を介して松隈さんの思想にも通じています。次のような松隈さんの言葉がそれを端的に表しています。
 「それ以前の社会にあったような、資本や権力の集中によって建てられていたモニュメンタルな建築ではなく、その社会がもつ経済的な状況に見合い、環境にも人間にも無理のない、誰もが平等に健康で快適に暮らすことが持続的に可能な、簡素で機能的な生活空間を、民主的な方法で実現すること」(レジュメからの引用)―それが近代建築の課題だということになります。
 松隈さんのお話は、単に建築にとどまらず、さらに都市の空間や市民が集い憩える公共的な場所などへと展開していきました。前川國男の言葉を引用して、前川國男が、幼いころの東京の名所が郊外の商業化された遊園地に取って代わられてしまったこと、あるいは夏祭りや秋祭り等の少年時代の夢も廃れてしまったことなど、東京が「生活」を失った「廃園」になってしまったことを、資本主義的世界としての宿命として、悲しみをもって捉えていることが紹介されました。そのような考え方は、「公共性」を育む「共有地」を創造する必要性を説くベンジャミン・R・バーバーの考え方にも通じていることを松隈さんは指摘されました。日曜日に人々がこぞって出かける場所が巨大ショッピングモールやUSJのようなところしかないとすれば、それは少々生活の豊かさを欠くという風に私も感じます。
少し飛躍するかもしれませんが、このような状況から一つ連想することがあります。それは「排除アート」と呼ばれるものが、1990年代頃から公共の場に設置され始めたことです。「排除アート」とは、ホームレスなど特定の人が公共空間を勝手に利用できないように物理的に妨げる造形物を指して言われる言葉です。例えば、かつて多くのホームレスの人々が夜を過ごした新宿西口の地下街には、ホームレスの人々を排除するために円筒状のオブジェ群が設置されました。一見モダン・アートのオブジェに見えますが、真意は「排除アート」というところにあります。あるいは、公園の横長ベンチにも二か所ほどに仕切り(ひじ掛け)を付けて、ベンチでごろっと横になることができないようにしたものも増えています。これは「排除ベンチ」と呼ばれています。議論は色々あると思われますが、「排除アート」について社会の「不寛容」を指摘する声は少なくないようです。




今日の松隈さんのお話は、モダニズム建築から出発しはしましたが、最終的には、現代社会の抱える新自由主義、行き過ぎた資本主義の問題を、モダニズム建築を通して暴き出し、その反省を促すことが中心であったと思います。建築が人間性の豊かさを育み、公共空間の創造を推進するためにきわめて重要な役割を果たすということも、とても大切なご指摘であり、私は、個人的に大変勉強になったと思っています。(I)


【連絡先】

きょうと視覚文化振興財団事務局

住所 : 〒607-8154 京都市山科区東野門口町13-1-329
電話 : 075-748-8232