【内容】
- ○
陶芸展のあゆみ
- ○
伝統とオブジェ
- ○
陶芸の多様性
【報告】
今年度2回目の連続講座は、「パラミタミュージアム」学芸員の衣斐唯子さんに「陶芸に親しむ」というテーマで話をしていただきました。
「パラミタミュージアム」という美術館を初めて知ったという方も少なからずいらっしゃったようですが、衣斐さんの説明にありましたように、イオングループの岡田卓也氏の寄付金を基に設立された公益財団法人岡田文化財団が運営する美術館です。私も訪れたことがありますが、鈴鹿山脈の御在所岳の麓、三重県菰野(こもの)町の豊かな自然の中にあります。
「パラミタミュージアム」の「パラミタ」という不思議な響きをもつ言葉は、この美術館が所蔵する版画家池田満寿夫の「般若心経シリーズ」と称される一連の陶彫作品と密接に関係しています。「般若心経」は仏教の多くの宗派が唱えるよく知られたお経ですが、正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」と言い、大乗仏教の中心思想である「空の理論」の核心をまとめたお経です。「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」の一節が有名ですね。その「般若波羅蜜多」はサンスクリット語(梵語)では「プラジュニャ・パーラミター」と発音するようで、「パラミタミュージアム」の「パラミタ」はここから取られているのです。つまり、「パラミタ」は「波羅蜜多」のことで、池田満寿夫の「般若心経シリーズ」を所蔵する美術館であることを表しているわけです。
さらには、「パラミタミュージアム」は、この美術館が先にあって後から池田満寿夫の「般若心経シリーズ」が入ったのではなく、順序は逆で、岡田卓也氏の実姉である小嶋千鶴子氏(1916-2022)が、池田満寿夫の「般若心経シリーズ」を所蔵、展示するために建設されたということなのです。
今回のお話で、「パラミタミュージアム」という名称が公募によって決定されたことを初めて知り、少々驚きました。設立者が自分の思いを込めて命名するのが普通ですからね。なお、美術館では、小嶋千鶴子氏のご夫君であった小嶋三郎一氏(1908-1997)の作品も、常設展示されています。小嶋三郎一氏は、弊財団の設立者である須田寛の父君で、著名な洋画家であった須田国太郎氏(1891-1961)に師事されていましたから、何か因縁を感じるのは私だけでしょうか。
さて、「パラミタ陶芸大賞」は、ゼロから作品を募集して審査をし、賞を決めるという形の公募展ではなく、陶芸に精通した美術批評家、美術館学芸員、美術ジャーナリスト等がすでに一定の評価を得ている陶芸作家を推薦してその作品を展示し、来館者の投票によって賞を決めるというユニークな制度を取っています。ここにも、パラミタミュージアムという美術館が、外に向けて開かれた美術館というコンセプトを貫いていることが現れていると同時に、この賞が極めて質の高いものであることが分かります。
衣斐さんのお話には、二つのテーマが含まれていました。ひとつは、女性陶芸家のこと、もう一つは「オブジェ」という戦後の陶芸界の新しい動きのことです。
レジュメでも示していただいたように、1950年代まで女性の陶芸家はほとんど存在せず、窯場で女性が働くとしても補助的な役目しか果たしていなかったというご指摘がありました。おそらくこのような状況は陶芸の世界だけのことではなかったのではないかと推測されますが、そのような中でも女性陶芸家の草分けとして活躍をした辻輝子(1920-2017)さんとその作品が紹介されました。パラミタミュージアムには辻輝子さんの充実したコレクションがあります。その中には上皇后美智子様から寄贈された作品も含まれているということでした。
辻さんの作品には草花を描くものが多いようですが、牡丹や芍薬といった大輪の花ではなく、サルトリイバラ、水仙、シャガ、あめふり草といった野の可憐な草花が多くモチーフになっているようです。源豊宗という美術史家は、日本美術の特質を「秋草」に象徴される美術だと考えました(「秋草の美学」)。それは、敷衍していえば、野の草花の四季の移ろいの中に、しみじみとした情趣を感じ取る美意識が日本美術の核となっているということだと思います。辻輝子さんの作品はその情趣を体現するものだと捉えることができるのではないでしょうか。
パラミタ陶芸大賞の出品者の男女比は、全113人の内、男性が84人、女性が29人という報告がありました。まだ女性の数は少ないようです。手前味噌で申し訳ありませんが、第9回の出品者若杉聖子さんは、私の教員時代の教え子であり、現在京都市立芸術大学の准教授として制作と教育に活躍されています。京都芸大が陶芸の教員に女性を採用することは、もしかすると画期的なことだったのかもしれません。(現在編集中の『美術フォーラム21』第50号の裏表紙に若杉聖子さんの作品が掲載される予定です。財団のHPにも掲載されますので、またご覧ください)。なお、美術館の創立者である小嶋千鶴子氏も、陶芸に親しんでおられました。70歳代から始められたのですが、3000個を制作することを自らに課し、12年後には達成されました。すばらしい作品が展示されていますので、是非ご覧下さい。
二つ目のテーマは「オブジェ」です。パラミタ陶芸大賞の出品作をたくさん紹介していただきましたが、その中には「オブジェ」と呼ばれる作品が少なからずあります。「オブジェ/objet」はフランス語で、単に「もの」という意味ですが、20世紀になってダダやシュルレアリスムといった新しい芸術運動が展開される中で、既製品の日用品や工業製品がそのまま作品として提示されるという状況が生まれ、それらが伝統的な芸術作品に対して「オブジェ」と呼ばれるようになりました。しかし、この言葉は抽象的な立体物についても使われるようになり、今ではちょっとした装飾品、飾り物についても言われるようになっています。
陶芸作品の「オブジェ」は、「用」をなさない抽象的な作品のことを指すと考えてよいと思います。陶芸作品は実際の役に立つ「器」であるという観念が伝統的にありますから、「用をなさない」陶器が作られたことは驚きをもって受け止められたにちがいありません。事実、聴講された皆さんの感想の中にも、オブジェ作品を見てびっくりして、陶芸の概念が変わったとか、これまでの作品と違ってきていることに驚いたというご意見がありました。
衣斐さんのお話では、陶芸界に「オブジェ」が現れた最初は1949年だということです。「四耕会」(しこうかい)という京都の前衛グループが1949年に開いた展覧会の案内状で「オブジェ」という言葉を用いて展示内容を紹介したのが始まりだという説明がありました。そして、その中心的な作家として林康夫さん(1928~)が紹介されました(現在96歳。まだ現役で創作活動をされているようです)。
一般的に陶芸の世界における「オブジェ」の始まりは、八木一夫さん(1918-1979)の《ザムザ氏の散歩》(1954年)だとみなされることが多いようです。八木一夫さんは、「四耕会」と同時期に、やはり京都で生まれた前衛陶芸集団である「走泥社」(そうでいしゃ)の中心メンバーでした。しかし、林康夫さんの《雲》という作品は、《ザムザ氏の散歩》よりも6年早い1948年に制作されており、この作品が日本の陶芸界における「オブジェ」の始まりというのが正確なところです。
陶芸が「オブジェ」を追求しようとした理由のひとつは、陶のもつ触覚的価値を純粋化させようとするところにあったと考えることができます。「用」に束縛された形から解放され、自律して自由になった「オブジェ」は、抽象的な形となりました。そして、そのことによって同時に触覚的価値つまり「つるつる、すべすべ、ざらざら、ごつごつ」といった肌触りの感覚を想起させる表面が特化されて現れてくるのです。元来、陶の器は両掌の中にすっぽりと納まって、くるくると回しながらその触感、肌触りを享受するのが一つの愉しみ方です。抹茶茶碗はその好例です。「オブジェ」はこの触感、肌触りを突出させ、実際に触ることができないとしても、眼で見て「ぞくっと」感じさせる肌触りを連想させるように造形されているわけです。
衣斐さんには「パラミタ陶芸大賞」に出品された作品について、丁寧に説明をしていただきました。ひとつひとつの作品の技術、完成度、造形美に魅せられたこともさることながら、衣斐さんが陶/オブジェに寄せる深い洞察と愛情が聴くものの身に迫ってくるお話であったと思います。
聴講された皆さんから、「パラミタミュージアム」にぜひ行って見たいというご意見がいくつか寄せられていました。すでに述べましたが、三重県菰野町にあり、近鉄四日市駅で近鉄湯山線に乗り換えて、最寄りの「大羽根園駅」まで25分程度ということです。衣斐さんのお話では、京都からであれば、近鉄四日市駅までは高速バスを利用するのが便利なようです。池田満寿夫さんの「般若心経シリーズ」は常設展示されていますので、いつでも見ることができます。また、お出かけの際には、ロープウェイに乗ってぜひ御在所岳にも登ってください。伊勢湾から知多半島、三河湾までを一望できる素晴らしい眺望が楽しめます。(I)