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視覚文化連続講座シリーズ6 
「無病息災と視覚文化」第8回
講座レポート

《病草紙》と『医心方』

現代医学から平安時代の健康・病気観を読む

東あかね

京都産業大学保健管理センター長 京都府立大学名誉教授
日時:2026年3月21日(土曜)午後2時から3時30分
会場:同志社大学今出川校地寧静館N36教室
主催:きょうと視覚文化振興財団


【内容】
はじめに:私の食の遍歴、私の朝食
I
平安時代の絵巻:《病草紙》を令和に見る
II
平安時代の医学書:『医心方』を令和に読む
III
からだ、こころ、社会の病と健康
IV
視覚文化ですすめる無病息災・健康長寿
おわりに


【報告】

今回の講師・東あかねさんはお医者さんです。しかし、個人の病気を治すお医者さんではなく、個人の集まりである集団の健康を維持・増進し、病気を予防することを目的とする公衆衛生学の専門家で、特に「食」による健康増進の教育・研究に携わってこられました。集団と一口に言っても、そのサイズは、家庭から、職場、地域、国家、人類までさまざまですが、東さんは、医師の立場で、平安時代の絵巻物や医学書を読み解かれ、視覚文化ですすめる無病息災・健康長寿の観点から、現代の保健行政のロゴマークや食事バランスについて興味深いお話を聞くことができました。
ちなみに、東さんのご家族は、お父さんが日本画家であり、建造物彩色のパイオニアでもあった川面稜一(1914-2005)さん、お母さんは日本画家・入江波光(1888-1948)の娘さん、妹さんも川面美術研究所の代表として文化財の保存と「都をどり」の背景画など舞台美術にたずさわっておられる「美術一家」なのですが、どういうわけか、東さんだけ医学の道に進まれました。その東さんと財団とのつながりはと言えば、シリーズ4(2022年度)で、日本文化史の熊倉功夫さんに「目で味わう日本の料理」というテーマのお話しをしていただいたときに、熊倉さんに紹介していただいたのが出会いでした。熊倉さんは、ご承知のように、和食が「日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録されることに尽力されたのですが、東さんがお勤めになっておられた京都府立大学の京都和食文化研究センターとは密接な関係があって、東さんが講座を聞きに来られたというわけです。「食」によるつながりは強いということですねえ。ともあれ、東さんご自身に、お話の概略を報告していただくことにしました。じっくりお読みいただければ幸いです。(KF)



【概要】

視覚文化連続講座シリーズ6「無病息災と視覚文化」の最終回。これまでの講座では、「病と健康」をテーマに視覚文化としての広告、版画、水墨画、書、絵画、工芸品そして絵巻までを俯瞰した企画でした。特に平安時代の絵巻《病草紙》は、医学教育において図譜(アトラス)に馴染んできた者として興味深いものでした。同じ平安時代の医書に『医心方』があります。隠し文字で天皇家以外の人には読めない工夫が凝らされていました。そこには、無病息災に通じる養生、食養生、房内術などをはじめとして、あらゆる病気の治療と予防が漢文で記されています。今回、「食養生」に焦点を絞って、現代の「無病息災を視覚文化」ですすめる取組を紹介します。無病息災は現代用語で「健康長寿」。卒寿を超えて大往生しましょう。



Ⅰ 平安時代の絵巻:《病草紙》を令和に見る

さて、2月の講座で加須屋誠先生が紹介された《病草子》を、私なりに公衆衛生医の視点で振り返ってみます。まず、形として見える病と見えない病があります。例として、「鼻黒の親子」、「侏儒の法師」、「白子の女」。これらは目に見える体の病気です。「侏儒の法師」は小人症です。成長ホルモンなどの分泌不足が原因となることが多いようです。

《病草紙》九州国立博物館本


《病草紙》には、病人を見て笑っている子どもがしばしば描かれています。笑って踊って楽しそうですね。この笑いは、一般的には、嘲笑の笑いとして理解されているようですが、私は、平安時代の《鳥獣戯画》と同じようなユーモアを感じます。期待や規範と実際に起こる事態との不一致(ズレ)、一言で言うと「意外なもの」に出会ったときに生じる笑いが、ユーモアの笑いです。
目には見えない病気として、「不眠の女」と「小法師の幻覚を見る男」があります。「小法師の幻覚を見る男」のように幻覚や幻覚が起こる病気は統合失調症です。発生頻度は100人に1人。心の病気を見事に表しています。

《病草紙》香雪美術館本


着目したいのは、病人の傍らで、母親が赤子に乳を飲ませている場面があることです。女は子どもそっちのけで夫を心配している様子です。最近は街中にも授乳室ができて、授乳の姿を見ることはほとんどありません。しかし、皆さんお一人お一人、誕生から約1年間、母乳だけで育った方も多いことでしょう。病人も、乳飲み子の時代がありました。この場面は、授乳中の母子を描き加えることによって、誕生の時から、家族/家庭という集団における女性(妻であり母である女性)の看護者としての役割を見事に描き出していると思います。
いずれの場合でも、現代医学の図譜(アトラス)のように、病気だけ、あるいは個としての人間の心身の問題として描くだけではなく、家庭や地域といった人間集団内での出来事として描いていることに新鮮な驚きを感じます。



Ⅱ 平安時代の医学書:『医心方』を令和に読む

医聖としてギリシャ時代のヒポクラテスが有名です。「命は短く、医術は永遠」であるという言葉を残した人物で、医の倫理を「ヒポクラテスの誓い」として残しています。しかし、「丹波康頼」は医学部では教わらず、京都府立大学・京都和食文化研究センターの上田純一特任教授(当時)から初めて教わりました。この人物は平安時代中期の鍼博士です。出生地は福知山市今安で、天照玉命(あまてるたまのみこと)神社に縁があるとか。現在の亀岡市医王谷に住んで薬草園をもち、お墓は亀岡市にあります。平安時代に典薬頭(てんやくのかみ)、すなわち医療を司る現在の厚生労働省にあたるところで、医学、薬学、鍼灸などを修めました。永観2(984)年、花山天皇の御代に『医心方』という医学書を朝廷に献上し、御室仁和寺に保存されていました。1554年に正親天皇が典薬頭半井家に下賜しました。これは、現在東京国立博物館に所蔵されています。全30巻で、漢文で書かれていますが、絵が一つだけあります。それは妊婦と胎児の図です。

『医心方』仁和寺蔵

すべての人は母の胎内にいたわけですが、母が胎動を感じるだけで、胎児は見えませんでした。胎児を描いたことは、生命の原点を描いた点で、大変象徴的なことだと思います。目には見えないものを追究しようとする医学の進歩によって、今では超音波でお腹の中の赤ちゃんが立体的に見え、男女の区別もわかる時代になりました。
『医心方』をもう少し詳しく説明しましょう。これは、有志以来9世紀までの中国の約250の医書や本草書を集めてまとめたものです。現存する日本最初の最古の医書です。医の倫理から医学総論、あらゆる病気の療法と予防、保健衛生、そして房内術などを表しています。房内術だけが有名になって、この研究をしている人は変わり者だという偏見がありましたが、人間の心と体に関する知識をすべてまとめあげたものです。一般人のためではなく、天皇家のための書物で、天皇家の健康と世代継承を目的としていました。
その中で、無病息災をめざす「養生篇巻27」を紹介します。「知識として理解したものを、生まれつきの天性のように身についたものにしなければ、全く役に立ちません」(食養篇巻29)とあって、「飲食は生まれてから死ぬまで、命を養うものであるが大変難しい。成長の方法を逆にすることもあり、慎重にすべきである」とか、「飢えの中の飽食、飽食の中に飢えあり」と記されています。個人的にも社会的にも、栄養や食生活と健康の課題は本当に複雑で、世界を見渡すと、開発途上国でも先進国でも、飢えている人があれば、肥満の人もあり、「栄養の二重苦」と言われています。飢餓と飽食、痩せと肥満、これは一人の人生においても存在します。飲食は非常に難しいものであることを感じます。ちなみに『医心方』の巻 29には、食べ方と精神状態との関係について書かれているところがあります。「怒った時には食べない方がいい。そして食べるときは怒らない方がいい。悲しんでいる時は食べない方がいい。そしてもうすでに食べ時には、悲しまない方が良い」と。
現在、大学の保健管理センターで肥満の方の保健指導をしています。内蔵脂肪が溜まっているのですが、よく話を聞くと、溜まっているのはストレスや悲しみであるらしいことに気づきます。そうすると、話を聞くことが重要になり、体重や腹囲など数値による食事指導は二の次にならざるを得ないのです。
また、「満腹まで食べない、腹八分、食べ過ぎない」。これらのことは、現在の肥満やメタボリック症候群を対象とした保健指導で言っていることです。
以上見てきた『医心方』を現代医学から振り返って、普遍的な点を3点示します。1つめは「未病」の考え方です。病気になる前に体を整えることです。2つめは、あなたにぴったりの「個別化医療」。3つめは、西洋医学と東洋医学の融合による統合医療です。『医心方』には、これからの未来に通じる知恵が秘められていると言っていいでしょう。

Ⅲ からだ、こころ、社会の病と健康

ここでは保健医療を担当する機関のロゴマークやアイコンを見ることにします。国連、世界保健機関、厚生労働省、京都市保健福祉局のロゴマークはそれぞれに工夫していて、興味深いものです。厚生労働省スマート・ライフ・プロジェクトのアイコンはなかなか苦労して作られています。

SLP(スマート・ライフ・プロジェクト)テーマ別マーク

スマート・ライフ・プロジェクトとは、「健康寿命をのばそう」をスローガンに、国民全体が人生の最後まで元気に楽しみながら健康な毎日を送ることを目標とした国民運動のこと(厚生労働省HP)。これら6つのアイコン(一は運動、 二は食事、三は禁煙、四は睡眠、五は健診、六は女性の健康)は、この運動の6つの領域を普及啓発するために制作されたものです。五の健診と六の女性の健康は見ただけではわかりにくいですね。

Ⅳ 視覚文化ですすめる無病息災・健康長寿

栄養バランスで、一番大事なのはエネルギー収支です。しかし、これは目で見えませんので、体重や腹囲を測定して数字で見える化します。次に重要なのは3大(エネルギー産生)栄養素のバランスです。しかし、炭水化物、たんぱく質、脂質も目で見えません。そこで、これを1日の料理で見える化したものが「食事バランスガイド」で、1食で示したのが、主食3・主菜1・副菜2の「弁当箱法」です。これらは、からだ・くらし・環境にやさしい食事と言っていいでしょう。
精進料理、プラントベースダイエット(植物性食品主体の食事)、ミートフリーマンデー運動も注目すべきでしょう。特に、学校給食で「お精進の日」の取り組みを京都府立宇治支援学校で月1回、実施してくださいました。その結果、一般の給食よりもビタミンやミネラルの多い食事になりました。
最後に「食事バランスガイド」(下記の農林水産省HPをご覧ください)についてもう少し詳しく説明しておきます。

農林水産省「食事バランスガイド」

これは「視覚ですすめる食事バランス」です。芯棒は水とお茶、主な料理と食品は、主食、副菜、主菜、牛乳・乳製品、果物です。菓子・酒類・嗜好品はコマを回す紐です。折紙で全体を把握し、「そのまんま料理カード」でバランスのよい食事の献立を作っていただきました。多くの方は、主菜の取りすぎです。70年前の「たんぱく質が足りないよ」、「ご飯は残していいからおかずを食べなさい」が現代日本に浸透しているのです。主菜の食材である牛肉・豚肉、ハム・ソーセージは健康と環境への負荷が両方とも高くなっています。

おわりに

今日の講演の参考文献などを3冊持参し、希望者にプレゼントしました。希望される方は挙手。私とじゃんけんして、弱者優先を信条していることから負けた方に差し上げました。
講演の最初に、出席者の中に自身は「無病息災」だと挙手された方が2人おられました。「息災」とは「災い」を息で吹き飛ばすという意味です。息を吐いて吸う、すなわち呼吸法も大切です。皆さんが、目で見てわかる健康づくりと食事バランスから、「災い」を吹き飛ばしていただきますようにお願いします。ありがとうございました。



【主要参考文献】
1)小松茂美. 日本の絵巻7 餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻. 中央公論社. 1987年
2)槇佐知子. 丹波康頼 撰. 医心方 巻三十 食養篇. 筑摩書房. 1993年
3)槇佐知子. 医心方の世界 古代の健康法をたずねて. 人文書院. 1993年
4)槇佐知子. 「医心方」事始. 藤原書店. 2017年
5)上田純一. 歴史の中の「病」と「食」(講義録). 京都府立大学 京都和食文化研究センター. 2018年
6)東あかね、他 編著. 栄養科学シリーズNEXT 健康管理概論. 第4版. 講談社サイエンティフィック. 2024年




【会場の様子】

今回の講座に臨んで、東さんはいろんな小道具を準備されていました。最初は、二段重ねの塗の弁当箱で、これは理想的な食事バランス、すなわち、主食3:主菜1:副菜2を「見てわかる」、3・1・2弁当箱法です。美しい辻が花のハンカチに包まれていて、てっきり東さんが食べるものと思って、お茶も準備したのですが、フエルトでできた教材でした。


小道具の2番目は、「食事バランスガイド」という、健康的な食生活を実現するために、私たちが摂取する食品の組み合わせや摂取量をイラストで示した資料(厚生労働省と農林水産省が共同で開発したもの)の折り紙です。私たちの食生活をチェックするためのツールなのですが、折り方がなかなか難しくて・・・。


小道具の3番目は、「そのまんま料理カード(群羊社)」で、主食、主菜、副菜、その他(乳製品や果物など)の料理が実物大で印刷されています。料理群ごとにカードを選んで、1食分の食事を作り上げてもらって、バランスという観点からチェックするのに使います。聴講の男性は「ごはん」、「すき焼き」、「筑前煮」と「お酒」を選ばれ、主菜(たんぱく質)を取りすぎと指摘されていました。お酒は水分なので、食事バランスガイドの「芯棒」かという質問に、お酒は「嗜好品」の一種で、食事バランスガイドでは「紐」にあたるとのことでした。もっとも、《酒飯論絵巻》の結論のように、ほどほどにということで・・・。

【連絡先】

きょうと視覚文化振興財団事務局

住所 : 〒607-8154 京都市山科区東野門口町13-1-329
電話 : 075-748-8232