視覚文化連続講座シリーズ6
「無病息災と視覚文化」第8回
講座レポート
《病草紙》と『医心方』
現代医学から平安時代の健康・病気観を読む
東あかね
今回の講師・東あかねさんはお医者さんです。しかし、個人の病気を治すお医者さんではなく、個人の集まりである集団の健康を維持・増進し、病気を予防することを目的とする公衆衛生学の専門家で、特に「食」による健康増進の教育・研究に携わってこられました。集団と一口に言っても、そのサイズは、家庭から、職場、地域、国家、人類までさまざまですが、東さんは、医師の立場で、平安時代の絵巻物や医学書を読み解かれ、視覚文化ですすめる無病息災・健康長寿の観点から、現代の保健行政のロゴマークや食事バランスについて興味深いお話を聞くことができました。
ちなみに、東さんのご家族は、お父さんが日本画家であり、建造物彩色のパイオニアでもあった川面稜一(1914-2005)さん、お母さんは日本画家・入江波光(1888-1948)の娘さん、妹さんも川面美術研究所の代表として文化財の保存と「都をどり」の背景画など舞台美術にたずさわっておられる「美術一家」なのですが、どういうわけか、東さんだけ医学の道に進まれました。その東さんと財団とのつながりはと言えば、シリーズ4(2022年度)で、日本文化史の熊倉功夫さんに「目で味わう日本の料理」というテーマのお話しをしていただいたときに、熊倉さんに紹介していただいたのが出会いでした。熊倉さんは、ご承知のように、和食が「日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録されることに尽力されたのですが、東さんがお勤めになっておられた京都府立大学の京都和食文化研究センターとは密接な関係があって、東さんが講座を聞きに来られたというわけです。「食」によるつながりは強いということですねえ。ともあれ、東さんご自身に、お話の概略を報告していただくことにしました。じっくりお読みいただければ幸いです。(KF)
視覚文化連続講座シリーズ6「無病息災と視覚文化」の最終回。これまでの講座では、「病と健康」をテーマに視覚文化としての広告、版画、水墨画、書、絵画、工芸品そして絵巻までを俯瞰した企画でした。特に平安時代の絵巻《病草紙》は、医学教育において図譜(アトラス)に馴染んできた者として興味深いものでした。同じ平安時代の医書に『医心方』があります。隠し文字で天皇家以外の人には読めない工夫が凝らされていました。そこには、無病息災に通じる養生、食養生、房内術などをはじめとして、あらゆる病気の治療と予防が漢文で記されています。今回、「食養生」に焦点を絞って、現代の「無病息災を視覚文化」ですすめる取組を紹介します。無病息災は現代用語で「健康長寿」。卒寿を超えて大往生しましょう。
すべての人は母の胎内にいたわけですが、母が胎動を感じるだけで、胎児は見えませんでした。胎児を描いたことは、生命の原点を描いた点で、大変象徴的なことだと思います。目には見えないものを追究しようとする医学の進歩によって、今では超音波でお腹の中の赤ちゃんが立体的に見え、男女の区別もわかる時代になりました。
『医心方』をもう少し詳しく説明しましょう。これは、有志以来9世紀までの中国の約250の医書や本草書を集めてまとめたものです。現存する日本最初の最古の医書です。医の倫理から医学総論、あらゆる病気の療法と予防、保健衛生、そして房内術などを表しています。房内術だけが有名になって、この研究をしている人は変わり者だという偏見がありましたが、人間の心と体に関する知識をすべてまとめあげたものです。一般人のためではなく、天皇家のための書物で、天皇家の健康と世代継承を目的としていました。
その中で、無病息災をめざす「養生篇巻27」を紹介します。「知識として理解したものを、生まれつきの天性のように身についたものにしなければ、全く役に立ちません」(食養篇巻29)とあって、「飲食は生まれてから死ぬまで、命を養うものであるが大変難しい。成長の方法を逆にすることもあり、慎重にすべきである」とか、「飢えの中の飽食、飽食の中に飢えあり」と記されています。個人的にも社会的にも、栄養や食生活と健康の課題は本当に複雑で、世界を見渡すと、開発途上国でも先進国でも、飢えている人があれば、肥満の人もあり、「栄養の二重苦」と言われています。飢餓と飽食、痩せと肥満、これは一人の人生においても存在します。飲食は非常に難しいものであることを感じます。ちなみに『医心方』の巻 29には、食べ方と精神状態との関係について書かれているところがあります。「怒った時には食べない方がいい。そして食べるときは怒らない方がいい。悲しんでいる時は食べない方がいい。そしてもうすでに食べ時には、悲しまない方が良い」と。
現在、大学の保健管理センターで肥満の方の保健指導をしています。内蔵脂肪が溜まっているのですが、よく話を聞くと、溜まっているのはストレスや悲しみであるらしいことに気づきます。そうすると、話を聞くことが重要になり、体重や腹囲など数値による食事指導は二の次にならざるを得ないのです。
また、「満腹まで食べない、腹八分、食べ過ぎない」。これらのことは、現在の肥満やメタボリック症候群を対象とした保健指導で言っていることです。
以上見てきた『医心方』を現代医学から振り返って、普遍的な点を3点示します。1つめは「未病」の考え方です。病気になる前に体を整えることです。2つめは、あなたにぴったりの「個別化医療」。3つめは、西洋医学と東洋医学の融合による統合医療です。『医心方』には、これからの未来に通じる知恵が秘められていると言っていいでしょう。
スマート・ライフ・プロジェクトとは、「健康寿命をのばそう」をスローガンに、国民全体が人生の最後まで元気に楽しみながら健康な毎日を送ることを目標とした国民運動のこと(厚生労働省HP)。これら6つのアイコン(一は運動、 二は食事、三は禁煙、四は睡眠、五は健診、六は女性の健康)は、この運動の6つの領域を普及啓発するために制作されたものです。五の健診と六の女性の健康は見ただけではわかりにくいですね。



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