【内容】
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真贋鑑定の難しさ
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日本・中国書画の事情
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オリジナルだけが芸術じゃない
【報告】
第二回の講座には同志社大学文学部教授の河野道房さんをお招きして、「写しと贋作《東アジアの書画鑑定》」というタイトルでお話をしていただきました。河野さんは1958年愛知県にお生まれになり、京都大学文学部で美学美術学を専攻され博士号(文学)を修められました。専門の研究分野は中国を中心とする山水画史、画論史、文人画論、墳墓壁画等です。著書に『中国山水画史研究―奥行き表現を中心に―』(中央公論美術出版)などがあります。大阪府立大学を経て2013年より現職に就いておられます。
東アジアの美術史には「粉本」という言葉があります。オリジナル(原本)の「写し」「模写」といった意味でしょうか。画家たちは「粉本」を手本にして絵を描くことが少なからずあったようです。「写し」はオリジナルと同様の価値はないと一般的には考えられますが、その辺りには一筋縄ではいかない諸状況があるようです。興味深いお話を拝聴することができました。以下は、河野さんご自身による【概要】です(I)。
【概要】
贋作は、市場経済(商品経済)が発達した近代の所産です。その定義は、利潤追求のための、悪意によるまがい物制作・詐称、といえるでしょう。真贋鑑定が難しいことはよく知られていますが、東アジアには模写の伝統があり、悪意のない模写、写し、倣、本歌取り作品が多数存在し、さらに複雑で鑑定が困難な状況を呈しています。中国宋代の著名な書家、画家で鑑定家の米芾でさえ、自作の精密な写しを本物と偽って返却したりする逸話もあり、近代の張大千にも贋作制作の過去がありました。ところが高度な贋作であれば、逆にその技術が賞賛される風土もあり、近代欧米の価値基準では測ることのできない美意識が、東アジアにはあったのです。ピカソによるマネの《草上の昼食》のバリエーションは、模倣作品とオリジナル(原作)の関係を考えさせられますし、近代に発達したオリジナルを絶対視する価値観は、現代美術によって変革されつつあります。東アジアでは早くに多様な価値観で、オリジナルと写しのグラデーションを楽しむ文化があり、現代の私たちにも大きな示唆を与えてくれるでしょう。最後に、若冲の鶏の絵で、原作と写しの見分け方を、ほんの少しだけ教授しましょう。ポイントは、眼の描き方の書き癖なんですね。

同志社大学はまだ夏季休暇中で、キャンパスの学生さんの姿はまばらでした。学生食堂も閉まっていましたが、地下鉄の同志社キャンパスへの出口は開いていたようです。よかった!
今年度は、連続講座に初めて申し込んでいただいた方がたくさんいらっしゃいます。ありがたいことです。最後のお楽しみの美術展チケットプレゼントは、全員の方に何かしらのチケットをお渡しすることができました。
しかし、ひとつ忘れていたことがあります。泉屋博古館で開催中の「寛永行幸と花の都の文化びと」展のチケットが6枚あったのですが、持参するのを忘れてしまいました。来月10月に抽選をいたします。ただし、講座の翌日の10月18日が閉幕日なのですが…。すみません。(I)