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視覚文化ワークショップ 視覚文化ワークショップ

2022年度 第1回 視覚文化公開ワークショップが開催されました

2022年度最初の視覚文化公開ワークショップが、5月29日(日曜)午後2時から、同志社大学今出川校地至誠館S1教室で、対面とZOOMのハイブリッドで行われました。会場には、報告者である天野和夫研究員はじめ、佐藤守弘、杉山卓史、はがみちこ研究員が集合しましたが、新規に研究員となられた渡辺亜由美さん(滋賀県立美術館学芸員)は、残念ながら、お仕事の関係で欠席されました。なお、財団からは、原田平作理事長はじめ、中谷伸生、岸文和理事、入江錫雄事務局長が参加し、財団ホームページを通じて6名の方がZ00M参加されました。今後も、奮ってご参加いただくよう、お願いします。

天野和夫研究員
写真はホアン・ルイ(黄鋭)の《足跡》


今回の発表は天野和夫研究員の担当です。「画廊の現場から見た美術の動向」というタイトルで、およそ2時間お話し頂き、その後、活発な質疑が行われました。個人的な「体験」を交えて、たくさんの作品を見せて頂いたこともあって、今回は、天野研究員ご自身に「報告」をお願いしました。ご発表が、ほぼ全部、活字化されています。じっくりとお読み下されば幸いです。(K)



「画廊の現場から見た美術の動向」 天野一夫



【趣旨】
現代美術のトレンドはいかにして作られ系譜の中に組み込まれていくのか? 大戦後一貫して美術界に君臨する抽象表現主義に挑むかのように、さまざまな現代美術の流れが起こっては消えていきました。今回のワークショップでは、1970年代より約50年にわたって、画廊主として現代美術の現場にかかわって来た私、天野和夫が、その時々のキーワードを駆使して、時代ごとの特徴を捉え、社会とのかかわりの中で最近のNFTアートに至るまで、その変遷を考察します。

【内容】
便宜上、10年ごとに区切りました。そしてそれぞれの年代の主な潮流を示しますが、これらはあくまでも現象的な問題で、参考にした個々の作品の制作年と合致するものではありません。またそれらの潮流がその後見られなくなったというわけでもありません。画廊主として日々接してきたアートシーンを、きわめて主観的にとらえたものとご理解ください。1)から7)までは、ほぼ時系列に捉えております。最後の8)については時系列を超えた潮流として、どの時代にもみられる大きな流れとして提示するものです。 図版につきまして、ワークショップで参考にしました著名な作家の作品写真は版権の関係で、この報告ではすべて省略しました。私が撮影したものや版権に抵触することのないもののみをここに掲載します。


1)1970年代以前
筆者が美術業界と縁ができる以前は、幾何学的抽象作品が大流行でした。中でも、ヴァザレリーの作品は、どこにでもあふれていました。ほとんどがシルクスクリーンによる版画でした。版画が複製とは違うという意味で、「オリジナル版画」という言葉が定着し始めたのもこのころです。日本の作家では、菅井汲が祭りのイメージで抽象作品を発表していました。それらの作品は、従来の油性絵具に代わって登場したアクリル絵具が使われていました。アメリカでは、フランク・ステラがパターン化した抽象作品を発表していました。
ただ、ステラは、のちに大きくそのスタイルを変えます。 他には、コンセプチュアルアートも前衛美術として注目を集めていました。日付を画面にあしらった河原温や、「意味のメカニズム」で有名だった荒川修作などがそうです。


2)1970年代
筆者は70年代はじめに大阪のある画廊に就職しました。このころ、第一次の絵画ブームがおこり、梅原龍三郎や横山大観などの日本国内の著名作家が飛ぶように売れていました。現代美術はなかなか売れません。アメリカからは、ハイパーリアリズムあるいはスーパーリアリズムと称する写真のような現代美術の作品が紹介され、中でも、アンドリュー・ワイエスは大きな注目を集め、東京国立近代美術館で大きな展覧会もありました。これが商機と見るや、それまで西洋アンティーク家具を扱っていた山中商会がワイエスのエージェントとしてかなりの数の作品を画廊や個人コレクターに販売していたのを覚えています。ワイエスの作品のどこがいいのか私にはよく理解できませんでしたが、ある写真家が、「これは広角レンズで撮った写真の世界だ」と言ったことで、納得がいきました。(笑) 写真と言えば、チャック・クローズが写真で撮った人物をスライドでキャンバスに大きく投影し、その上から筆を走らせて、リアルなイメージの作品を作りましたが、私は、 ワイエスよりもこのチャック・クローズの作品が好きでした。


3)1980年代
1979年に私は独立して自分の画廊を持ちました。イギリスの現代美術に興味を持っていましたので、ある人の紹介でイギリスのロジャー・アックリング(図1)と知り合いました。
画廊主と作家との出会いは単純なきっかけが多いです。ギャルリー・ワタリ(今のワタリウムの前身)の創業者の和多利さんは、もともと日動画廊の長谷川智恵子さんお抱えの洋服屋さんでしたが、出入りしているうちに画廊の仕事に興味を持ち、自前の画廊を開く前にニューヨークに行き、1か月ほどレンタルマンションに住んでいたそうです。毎日変な老人が廊下を行ったり来たりするので、ある日話しかけたら、なんとそれがアンディー・ウォーホルだったとか。それが縁で彼女は一儲けできたわけです。(笑)
私は、アックリングと、「ロジャー」、「カズオ」と呼び合う仲になり、彼の日本国内のゼネラルエージェントとしてかなりの数の作品を東京方面の画廊にも卸しました。ゼネラルエージェントは、今でいうプライマリーギャラリーで、多くのセカンダリーを抱えることで業績を拡大させることができます。
 アックリングは、当時イギリスで興隆のランド・アート、あるいはアース・ワークと呼ばれた流れの作家の一人です。同世代の作家には、木彫のデイビッド・ナッシュやインスタレーションのリチャード・ロングなどがいます。

図1:
ロジャー・アックリング(Roger Ackling)、Outer Hebrides 4、1984、長さ9cm、木片にレンズにて太陽光集光照射
図2:
大久保 英治、無題、1989、高さ約90cm、木・紙粘土・オイルステン


当時私は、大久保英治(図2)という日本人作家を扱っていましたが、初めはミニマルっぽい作品を作っていた大久保が、ロジャーに感化され、次第にアース・ワークの世界にのめり込んでいきました。そして、どうしてもロンドンに行ってみたいというので、京都の英国文化センター(ブリティッシュ・カウンシル)に助成金を申請したことがありました。当時はまだ悠長なところがあって、必須である英語力も何とかごまかして(笑)、助成金を手に入れたことを覚えています。いい時代でしたね。
他に、大きなトレンドとして、ファイバーアートが流行したことを取り上げておきたいと思います。私の画廊では、京都芸大に留学して、その後もしばらく日本に滞在した韓国人作家のチャ・ケナム(車季南)(図3/図4)の作品を扱っていました。当時大阪で、グランプリが1000万円の賞金で話題を呼んだ大阪トリエンナーレという催しがあって、その彫刻部門にチャ・ケナムの作品を出したことがあります。わずか1票の差でグランプリを逃しましたが、それでも次点のシルバープライズで500万円を獲得しました。彼女の作品はファーバーアートの大きなうねりの中で、神奈川県民ホール、東京都美術館、滋賀県立近代美術館、福岡県立美術館などで企画展示されました。

図3:
車 季南、Flowing 1、1992、180x200x560cm、サイザル麻に染料、京都市文化博物館にて展示
図4:
車 季南、Flowing 2、1992、260x200x560cm、サイザル麻に染料、ギャラリー・マロニエにて展示、京都



4)1990年代
ミニマルアートは建築やファッションに大きな影響を与えました。あるいは逆で、建築やファッションからミニマルアートが生まれたのかもしれません。ともかく、アメリカで大きな力があったミニマルアートが、1990年代に入ると私の周りからばったりと見られなくなりました。まるで書くことに挫折した小説家が筆を絶つかのように。
かの有名なヘンリー・ムア(昔は確かムーアと伸ばしていたと思いますが、いまはこの表記のようです)には、アンソニー・カロという弟子がいて、このカロがまるでヘンリー・ムアの作品の骨格部分を抜き出したような作品を発表したことを私は思い出しました。ニューヨークで評論家たちが、彼の作品を「プライマリー・ストラクチャー」と位置づけ、ジャッドなどもこれに含めた時期がありました。そして「プライマリー・ストラクチャー」からさらに要らない部分をそぎ落としたのがミニマルアートなら、ミニマルアートの終焉は、もうそぎ落とすものがなくなったからなのだと、私なりに理解しました。
と同時に、ポストモダンという言葉がささやかれはじめましたが、ポストモダンが何を指すのか諸説紛々で、その後は誰も口にしなくなりました。
こうしてみると、改めて戦後の現代美術を抽象表現主義を前面に「前衛とキッチュ」に図式化したグリンバーグの仕事がいかに的を得たものかと思わざるを得ません。
日本では美術評論家の故藤枝晃雄氏がグリンバーグと並び称されることが多いですが、藤枝氏から強い影響をうけて作品を発表している作家の一人が、岸本吉弘(図5)です。現在神戸大学発達科学部で美術を教えています。

図5:
岸本 吉弘、手紙(デッサン)、2015、291x591cm、キャンバスに油彩・蜜蝋、下町芸術祭2015(神戸・元町)のために制作、翌年芦屋シューレに出品、写真は芦屋シューレ
図6:
戸崎 栄一、無題、2020、コンピューターグラフィック



5)2000年代 
2000年代に入るとパソコンが一気に普及し、デジタルアートが盛んになります。私が直接知る人を一人紹介します。戸崎栄一(図6)という人で、画家であった父の作品を散逸しないように滋賀で個人美術館を開設するのですが、やがて渡米しコンピューターを使った新しい表現を学びます。静止画というよりは動画で見せるのが彼のやり方です。最初は面白いのですが、やがて単調さが目についてくるというのは、デジタルの宿命でしょうか?
また一方、陶芸界にも興味深い作品が出現しました。コンピューターの画面は、数えきれないほどの小さなドットの集合ですが、モノをドットの集合としてとらえることを陶芸の世界で表現する増田敏也(図7)がその人です。ここではアナログの世界をデジタルに分解し、再びアナログの作品に戻す作業が行われています。だれかれとなく「デジタル陶芸」という言葉がささやかれはじめ、今では用語として定着しつつあります。

図7:
増田 敏也、Low Pixel CG「Self Portrait」、2012、28x11x15cmx2個、陶
図8:
ホアン・ルイ(黄 鋭)、足跡、2005年頃、大阪市北区西天満大阪高等裁判所東側歩道脇


このころ、日本の現代美術界に、世界的に有名な3人の作家がそろい踏みをします。草間彌生、奈良美智、村上隆の3人です。現代美術に縁が薄い人でも、今や常識の部類に入るほどの著名人です。それは国内外でかなりの高額で取引される日本人作家だからです。
でも、例えば、なぜ草間がそれほどまでに有名になったかを知る人はほとんどいません。
彼女は、若くして渡米し、マンハッタンをヌードでストリーキングしたのです。時のニューヨークタイムスは、これを「東洋人の女が全裸でストリーキング」と大きく報じました。
彼女は当時から著名人だったのです。もちろん、スランプの時代を経て、やがて帰国し1993年にベネチアビエンナーレの日本代表になってからの目覚ましい活躍が今の彼女の 評価を上げたことは周知のとおりです。
この3人の説明はさておき、ここでは村上隆が唱えた「スーパーフラット」というコンセプトに言及したいと思います。これは遠近法のない日本画、特に浮世絵の世界に逆転の発想で、遠近法を乗り越えたところに浮世絵の面白さがあるという、いわば居直りのコンセプトです。これを欧米人にもわかるように、”Super Flat” とアルファベットで提示したことが彼の功績だと考えます。日本文化を表す「わび・さび」には英語の適訳がありません。
この点、“Super Flat”のほうが、より単刀直入に欧米人に理解できるでしょう。
この言葉のおかげで、日本の美術がより大きく世界に受け入れられるようになりました。そういう意味で、確かに村上隆の評価は大きいと言わざるを得ません。ただし私は、だからと言って、彼の作品を絶賛するつもりはありません。作品に対する評価は別モノです。
やがて時間が答えを出してくれるでしょう。


6)2010年代 中国の現代美術
2007年に私は上海を訪れました。たくさん画廊があるだろうと思っていましたが、意外と少なかったので、ある画廊主に尋ねると、「上海の画廊は2000年以降だからねぇ」という答えが返ってきました。ビジネスとしての画廊はまだまだという感じでした。
そんな中でも、2010年代に入ると中国の作家の活躍が目立ちはじめます。日本では2008年に国立国際美術館の中井康之学芸員が担当した「アバンギャルド・チャイナ」という展覧会が、開かれました。これには天安門事件以前に活動した作家の作品が含まれておらず、残念な思いが残りました。政治に対する配慮だったのでしょうか。
政治問題は中国ではタブーで、当時東京から中国の北京に進出したミヅマ・アートが、批判的な作品を展示したので、朝出勤すると、当局によって電気をとめられていたという話を三潴末雄代表から聴いたことがあります。北京オリンピックのために通称「鳥の巣」を制作したアイ・ウェイウェイも、いまは海外を拠点にしています。
1989年に起こった天安門事件で、当局から追放処分を受けた7名の作家が、大阪に逃れて来たことを覚えています。その中には、火薬のパフォーマンスで知られる蔡國強がいました。北京では火薬などおそらく使わなかった蔡國強ですが、大阪の現代美術センターで来日初の作品を発表したときには。100号サイズのキャンバスの上に点火したねずみ花火を走らせた痕跡を展示しました。花火=中国のイメージなのでしょう。
その後、蔡國強は京都市役所前で大掛かりな花火のパフォーマンスをしましたが、その時に居合わせた東京のギャラリー上田の上田晃氏(彩壷堂創業者)の目に止まり、東京で作品を発表するようになり、それが縁で今度はニューヨークで展覧会をして一躍有名になりました。折も折、アメリカと中国が人権問題で摩擦を起こし始めると、中国政府はかつて追放処分にしたこの蔡國強を、北京に呼び戻すことで人権問題の火消しを計ろうとしました。 ラッキーなのは蔡國強。一方天安門事件で彼と一緒に日本に来たホアン・ルイ(黄鋭)は、日本に残留したまま私の画廊の近くで「現代中国芸術中心」を開き、墨を使った絵画やパフォーマンスを発表しました。今でも近くの裁判所の舗道脇には、彼自身が足跡をつけたパフォーマンスの痕跡(図8)が残っています。美観を損ねるというので、のちに市当局が上からセメントを塗りました。そのおかげで、もしセメントをきれいに剥がせば、彼の足跡がよみがえるでしょう。ある意味では貴重な日中合作になります。(笑) 


7)2020年代
パソコンによるインターネットの世界が飛躍的に広がりました。ネットオークションも盛んになり、コピーを排除し唯一無二の証明を得たデータそのものがオークションの対象になりました。証券取引における株と同様に、転売もできることからマーケットが急拡大しています。決済は仮想通貨で行われますので、アングラマネーの拡大やマネーロンダリング、あるいは不正アクセスによる仮想通貨の流失などの問題を抱えています。法整備も遅れていることから、マーケットの将来については、多くの疑問が残ります。
取引されるのは、物性を持った従来の作品ではなくて、コンピューターによってつくられるデジタル絵画や音楽です。制作する側としては、美術館や画廊などの発表場所が不要なので、パソコンさえあれば一攫千金も夢ではありません。ただ暗号化技術の脆弱性につけ込んだデータの改ざんがもし行われた場合は、一挙にマーケットが崩壊します。また、データそのものの物理的特性が永遠の保存を保証するものではありません。
単なる投機のためのマーケットで、短期間に収束するのか、あるいは新しいマーケットとして定着するのか、しばらく観察が必要です。



8)抽象表現主義とポップアート
さて、年代を追ってお話を進めてきましたが、最初にお断りしたように、現代美術の流れの中で、今なお優位性をもって大きな流れを持っているものが、抽象表現主義とポップアートだと思います。これは、かつてクレメント・グリンバーグが言い当てた「前衛美術とキッチュ」と軌を一にするものだと思います。そういう意味で、グリンバーグの業績は永遠に残ると思います。また、日本でグリンバーグを積極的に紹介した藤枝晃雄氏(1936-2018)の業績も大変重いことはすでに述べました。現在関西で、抽象表現主義のスタイルで制作を続けている作家は、少なからず藤枝氏に影響を受けていると思います。
例えば、善住芳枝の作品(図9/図10)は、あの白髪一雄ほどの筆の勢いはないですが、よく似ていると言われています。柴田知佳子の作品(図11/図12)も典型的な抽象表現主義の絵画で、緩やかな空気の流れを感じさせます。藤飯千尋(図13/図14)の場合は、怒りの感情が噴き出たような情動を感じさせます。興味深いのは、この3人はすべて女流作家の登竜門と言われる亀高文子記念赤艸社賞を相前後して受賞しています。中でも柴田は、昨年東京美術倶楽部の特別展で老舗の彩鳳堂画廊から出展し、東京でのデビューを果たしました。今後のさらなる活躍が期待されます。

図9:
善住 芳枝、Triton、2017、194x162cm、キャンバスに油彩
図10:
善住 芳枝、Nemesis、2018、194x162cm、キャンバスに油彩
図11:
柴田 知佳子、Tangible Light、2021、300x222cm、綿布に顔料・アクリル絵具
図12:
柴田 知佳子、Vertical Tide、2021、300x222cm、綿布に顔料・アクリル絵具
図13:
藤飯 千尋、覚醒、2021、72.7x60.6cm、和紙貼りパネルにアクリル絵具
図14:
藤飯 千尋、最後の砦、2020、130.3x194cm、和紙貼りパネルにアクリル絵具・油彩


抽象表現主義の代表がジャクソン・ポロックなら、ポップアートの騎手はジャスパー・ジョーンズとアンディー・ウォーホルでしょうか。キッチュの今の代表はあの前澤さんが今年ニューヨークのオークションで109億円で手放したバスキアでしょうか。少し前には、ストリートアーティストとして知られたキース・へリングもその系譜に入れていいかと思います。
私は韓国の作家も扱いますが、ジャスパー・ジョーンズのモノクロのドローイングは、韓国の前衛作家のひとりとされる金丘林(図15)の絵に共通するものを感じます。また、ジャスパー・ジョーンズの絵画によくみられる指で描いた筆致が、金云圭の作品(図16)にも見られます。

図15:
キム・クリム(金 丘林)、ボトルとカップのある静物、1982、鉛筆ドローイング、1984年天野画廊にて個展
図16:
キム・ウンギュ(金 云圭)、無題、2017、53x45,5cm、キャンバスにアクリル


最近大阪でよく売れる新進作家に神藤リタ(図17)がいます。彼女は抽象表現主義風な表現に具象的なイメージを少し加味した作品を作っています。昔でいう心象風景画と言った方がわかりやすいかもしれません。ファン層は圧倒的に30代40代の女性です。彼女の絵に女性としての強い共感をもつと、皆さん感想を漏らします。いわば、私小説的な映像世界が彼女の作品の特徴なのですが、抽象表現主義の流れをくむ日本人作家の作風には、かなりのウエイトでこの傾向がみられるのが興味あるところです。別の言葉でいえば、乾燥している欧米人作家の作品に対して、しめっぽい日本人作家の作品。あるいは、外向的な欧米人作家に対して、内向的な日本人作家の作品。私の周りでもこのことがいつも話題になります。それが何に由来するのか、定説はありません。日本人の精神風土がそうさせるなら、哲学的・倫理学的な解明が必要かもしれません。西田幾多郎、九鬼周造、和辻哲郎らを読み直すことでその由来が解けるかもしれません。

図17:
神藤リタ、抱擁のうた、2020、130.3x161.2cm、キャンバスにアクリル絵具・顔料・砥粉、天野画廊にて個展 




【連絡先】

きょうと視覚文化振興財団事務局

〒611-0033 宇治市大久保町上ノ山51-35
Tel / Fax:0774-45-5511